うちなーデザインで涼しく快適

琉装は涼しさを追求した風通しの良いデザイン。
方言で「ウチナー(沖縄)スガイ(姿)」といいます。
腰に細い帯で締めてその上に着物を着るスタイルの
和装とは異なる「ウチンシー」という着付けが主流。

肌と着物の間にスキマが生まれて風通しが良く
さらりと着ることができ、温暖な沖縄の気候にぴったり。
沖縄の文化や風土が色濃く反映された、伝統的な着付け方法です。

袖は和服のような袋状ではなく、ゆったり広い筒状に開いているため
袖の裏地は、美しい色が合わせられています。
どうぞゆらゆらとはためく袖を楽しんでください。

鮮やかカラー「びんがた」
で染めています

多くの琉装に施されている「びんがた」は沖縄独自の染物技術。
「びん」=「色」、「がた」=「模様」を表していて
「赤・黄・青・紫・緑」五色の天然顔料と植物染料で染めています。
染めるのが大変ですが、とっても鮮やかで
日光による退色が少ないという特徴が。
極彩色で太陽の光が強い、沖縄ならではの染色技術です。

琉球王朝時代の古典びんがたは鳳凰、龍、松竹梅や流水紋、菊など、
沖縄らしいものは少なく、中国や日本文化の影響を強く受けています。
逆に近年増えたびんがたには落ち着いた色合いのものも多く
南国特有の草花や海、魚など沖縄ならではの柄も。
また、大きな特徴としてあげられる「奔放な色使い」。
赤色の桜、緑色の鶴、黄色の流水・・・大胆な色使いと繊細な文様は
着る人への加護を意味しているのだとか。
ぜひじっくり見てみてくださいね。

琉球王朝と
共にあった
びんがた・琉装

琉装に使われている染色技術「びんがた」は14-15世紀ごろ
中国やインドをはじめとした、アジアとの交易の中で誕生しました。
国内外のあらゆる文化と技術を取り入れ、沖縄の豊かな風土に恵まれて発展。
中国的な豪華さと日本的な優美さを併せ持つ、稀有な伝統工芸です。

琉球王朝時代、王族の礼服や神事の際の衣装・宮廷舞台衣装として重宝され、
びんがたは王府に守られていました。
当時、王族や士族、皇女が身につける最上位の衣装は黄色と決まっていて
階級で色や柄はきっちりと区別されていました。
黄色は中国でも最も高貴な色。ここにも、中国文化との密接な関係が見えます。
士族王族は、職人に新しい柄を作らせては型紙をその都度焼却処分(!)して
誰も真似できないようにしていた、との説も。

江戸幕府との交流を通じ琉球へ本土(大和)の染色技術が入ってきたことで
現代の様式へと確立されていきます。
じつは「びんがた」という染色技術は東京・京都にもあり
それぞれ「江戸びんがた」「京びんがた」と名前がついています。
琉球びんがたはその中で群を抜いて華やかです。

熱い気持ちで
受け継がれてきました

廃藩置県後、琉球王家の庇護を失ったびんがた。宮廷のために生まれた技術は急速に衰退してしまいました。
現在、古典びんがたとして残っているものはこの時代、本土へ輸出品として制作されたものがほとんどだとか。

第二次世界大戦により、ほとんどの資料・道具・材料が焼失してしまったびんがた。
王朝時代からの「紅型三宗家」、城間家・知念家の当代が、終戦後に那覇・首里へもどり復興に尽力されました。
道具や材料は廃材からなんとか集め、廃業する紅型職人から型紙を譲り受けるため本土へ通ったと言います。
戦後、着物や帯の制作・販売は困難であったため、ハンカチやカード、ネクタイ、テーブルクロスなど
西洋風の日用品に転じた、新しい形のびんがた製品が多く生み出されました。
伝統文化を時代の流れに乗せ、日常に溶け込ませることで、柔軟に逞しく復興していきます。
1973年、びんがたは沖縄県の無形文化財に選定。
長い歴史と特異な文化、高い技術をもつびんがたは、途方もない努力により、現代まで受け継がれてきました。

びんがたは、道具の制作から型を彫る作業、染色までの全工程を一貫してたったひとりで行う伝統。
美しい柄と共に、携わる人々の熱い思いも紡がれています。

参考資料
「沖縄の伝統工芸」 沖縄文化社 さま

本ページを作成するにあたり、文章を拝読し、参考にさせていただきました。
心から御礼申し上げます。